宮田織物ものづくりの姿勢と歴史

宮田織物ものづくりの姿勢と歴史

宮田織物が100周年を迎えた頃は
下記の商品が当社の主な商品でした。

  • 婦人服:彩藍
  • わた入れはんてん:継承シリーズ
  • 作務衣・甚平(オンライン通販および一部店舗のみ)

宮田織物の
オリジナル木綿織物「和木綿」は
「久留米絣ですか?」と
尋ねられる事が多かったのも事実です。

そして今、わた入れはんてんは、
継承・和モダン・粋
3つのブランドに分かれ、

継承シリーズは、
今までのお客様に向けて

和モダンシリーズはより若い世代に

粋シリーズは、着物感覚で粋に着たい方に

和木綿の織りの段階から
着る人のことを考えたものづくりをしている。

こういう活動を通じて、
今は「宮田織物」がブランドとして
少しづつではございますが、認知されてきています。

下記に、宮田織物の
ものづくりへの姿勢と歴史を記載しております。

時代に翻弄されながらも、
ものづくりとしての揺るがない指針を持ち、
これからも真摯なものづくりを続けていく

宮田織物について、宜しければご覧下さい。


2013年4月 創業百周年を迎え
製作した自社パンフレットより抜粋および
2001年宮田織物株式会社 代表取締役会長 宮田智 談より掲載。


<ものづくりへの姿勢>

  • 百年企業となり、宮田織物がさらに目指すものづくり
  • 一隅を照らす。その思いを胸に。
  • 糸選び、織り、縫製。一貫した自社生産。
  • オリジナルへのこだわり。
  • 地元、筑後で生産し、地域に貢献する

<宮田織物の歴史>

  • 創業から現在に至るまで
  • オイルショック
  • わたから自社製で
  • 室内着の変化とともに‥
  • 久留米という産地において
  • 和木綿へのこだわり
  • これからの取り組み

<ものづくりへの姿勢>

百年企業となり、宮田織物がさらに目指すものづくり

大正2年(1913年)
久留米絣の里である福岡県筑後市で、
産声を上げた宮田織物は、
平成25年4月で創業100周年を迎えました。

久留米絣から、
わた入れはんてん、
そして婦人服へと、

時代により、
作るものは変わりましたが、
宮田織物のものづくりへの
真摯な思いはこれからも変わりません。

1本の糸から選び抜き、何度も何度も試織を重ねる。

そうして織り上げた布地
「和木綿(わもめん)」を、

着る人への思いを馳せながら、
企画デザインし、
一枚一枚心を尽くして縫い上げる。

この一貫生産体制だからこそ、
製品へこめた思いは、
どこにも負けません。

「一隅を照らす」という精神と、
「見えないところに手を抜かない」という信念で、

お客さまに喜ばれ、
社員が幸せになり、
社会に貢献していく企業を目指して

これからも私たちは、
ものづくりに精進して参ります。

一隅を照らす。その思いを胸に。

宮田織物の経営理念は
「一隅を照らす」

自分達の置かれた場所で、
与えられた役目を精一杯
果たしていくことです。

小さな光が、
やがて大きな光となるように

見えない所も
決して手を抜かない
誠実なものづくり

コツコツと続けることで、
お客さまに喜ばれ、
地域社会に貢献していく。

私たちは、
一隅を照らしていきたいと
思っています。

糸選び、織り、縫製。一貫した自社生産

宮田織物が
最も大切にしていること、
それはものづくりです。

一本の糸を選ぶことから始め、
デザイン、布地織り、縫製まで、
全て一貫生産にこだわります。

だからこそ製品に
自分たちの思いが
宿るのではないでしょうか。

伝統から学びつつ、
新しい知識をも得ながら、
オリジナルの製品を生み出す。

この温故知新の姿勢も、
宮田織物のものづくりを支えています。

オリジナルへのこだわり

宮田織物は、
オリジナリティにこだわります。

大正2年の創業時から、
連綿と受け継がれてきた
ものづくりの技術。

それに裏打ちされた
宮田織物でしかできない
独創的なデザイン。

かつて生産数日本一を誇った
「わた入れはんてん」や、
オリジナルブランド「彩藍」に、
そのこだわりはしっかりと
反映され、進化し続けています。

地元、筑後で生産し、地域に貢献する

宮田織物は、筑後の
地場産業の伝統工芸品、
久留米絣の機屋(はたや)が
その歴史のスタートです。

ですから、
オリジナルの素材「和木綿」は、
久留米絣がルーツなのです。

私たちを育ててくれた筑後の地に、
少しでも恩返しがしたい。

さらに培われた伝統と
高い技術を次の世代に伝えていきたい。

その思いから、
地元筑後での生産にこだわり続けます。

宮田織物集合写真

 

<宮田織物の歴史>

創業から現在に至るまで

創業大正2年、久留米絣の
機織から始まった宮田織物。

昭和40年代から
わた入れはんてんを作り始めました。

品質を重視した
わた入れはんてん作りに
確かな評価をいただき、

最盛期には、年間50万枚もの
わた入れはんてんを
生産・販売した実績がございます。

そして現在、
良質で趣向性の高い商品を求める
お客さまの思いに応えるべく、
わた入れはんてん・作務衣・婦人服などの
商品展開をしております。

オイルショック

今朝、通勤途中のラジオから、
「昭和48年の今日は、石油緊急
対策要綱を閣議決定された日です」
という声が流れてきました。


1973年(昭和48年)11月16日、
石油緊急対策要綱を閣議決定、
「総需要抑制策」が採られる。

日本の消費は一層低迷し、
大型公共事業が凍結・縮小された。
日本の消費者物価指数で1974年
(昭和49年)は23%上昇し、
「狂乱物価」という造語まで生まれた。
(wikiより引用)


いわゆるオイルショックです。

宮田織物は昭和40年から
わた入れはんてん製造を始めましたが、

オイルショックのこの年に、
灯油高騰から室内用防寒着の需要が生まれ、
わた入れはんてんが大人気を博しました。

そこから47年(製造を始めて55年)、
わた入れはんてんを今も作り続けています。

デザインや表地は時代と共にずいぶん変わり、
中わたにもバラエティが増えました。

でも、わた入れはんてんへの思いは
変わりません。

一枚一枚、着ていただく方の
笑顔を想像しながら、

布地を織り、縫い合わせ、わたを入れ、とじ縫いをする。

55年間、続けてきました。
そしてこれからも続けていきます。

これは、宮田織物の全社員、
そして内職さん、共通の思いです。

わたから自社製で

わた入れは、わたが命です。

昔のようには、
着られなくなりましたが
「わた入れはんてん」という製品は、
日本の気候や暮らしにとても合います。

納得できるものを皆さまに
お届けしたいという思いから、

わた作りから、
布地デザイン、
布地織り、
商品デザイン、
裁断、縫製までを
自社で一貫して行なう。

これが宮田織物の
わた入れはんてん作りの
基礎となりました。

※現在は、はんてんのわた作りは、
信頼あるわた作り専門の
新川桂株式会社に依頼。

眠りが少しでも良いものに出来れば、
健やかで豊かな生活が送れるとの
想いを心に、あったかい布団を
つくり続けている会社です。

高品質で安全なわたの生産を
行なっていただいております。

室内着の変化とともに‥

宮田織物の生産の中心としていた
わた入れはんてんですが、
住環境や地球の温暖化、
室内着の変化などにより、
需要は減って参りました。

これまでのものづくりや、
自社の特徴を生かしながら、
何ができるか?

試行錯誤を重ね、
試織を繰り返し、
納得いくまで試作。
開発を重ねました。

久留米という産地において

そうして出来上がってきたのが、
和風モダンといった服づくりです。

久留米絣という
先達の遺産を盛り込みながら、
オリジナルの布地「和木綿」が
完成いたしました。

「和木綿」は、
久留米絣の味わいを生かし、
和の感覚を生かしながら、
現代の暮らしにあうもの。

というテーマで、
テキスタイルのデザインから
自社で行なっています。

その布地を使用した
婦人服ブランド【彩藍】は、
幅広い年代の方から、
永くご愛用できる商品として
ご愛用いただいております。

和木綿へのこだわり

・木綿の風合い
・今までにない風合い
・伝統を生かすこと
・新しい感覚
・着やすさ
などに、こだわり続けながら、
より良いものへの挑戦を続けていきます。

1本の糸から選び抜き、
織りを凝らし、
試織を重ね、
完成する和木綿。

その良さを最大に生かすべく、
デザインにもこだわります。

これからの取り組み

物がありあまる時代だからこそ、
品質を守り、今までにないものづくり、
皆さまに納得していただけるものづくりを
続けていきます。

着ていて、やさしくなれる上質の大人服。
和木綿の味わいを1人でも多くの人に
味わっていただくことが目標です。

 


久留米という地で、
先達の遺産を生かすものづくり
一本の糸から選び抜き、
織り上げる和木綿で上質の服づくり

 

2013年4月 創業百周年を迎え
製作した自社パンフレットより抜粋および
2001年宮田織物株式会社 代表取締役会長 宮田智 談
より掲載。